2015年 08月 22日
7年半ぶりの休暇 |
日本に戻って1年以上が経ちました。
この1年間を一言でいうならば、東京に帰ってきたというより、ナッシュビル、デュッセルドルフ、イスタンブール、そして4カ国目の町に住んだような新しい発見の連続の1年でした。日本で子育てをするのもはじめて、仕事が無いのもはじめて、ママ友とつきあうのもはじめて。言葉は通じても、同じ日本人でも皆一人一人個性があって、感動したり、落ち込んだり、心配してたことは思ったより大丈夫だったり、強烈なカウンターパンチもくらったな。。。
たくさん、心をゆさぶられるような、ブログに書きたいことはたくさんあったんだけれど、帰国した友人が言っていたように、東京は忙しい!ゆっくりブログを書く時間もないけれど、今回の気持ちはずっと残しておきたいぐらいの勢いがありました。
日本に帰って、息子には何か音楽をやらせたい、バイオリンやピアノもやってみたけど家で練習をさせるのが大変、だったら合唱なら通わせるだけでいいのでは?と合唱団に入れてみました。最初は普通に通っていたけれど、途中から友達とトラブルがあって嫌になったり、友達ができて楽しくなったり、でも練習がつまらなくなってやっぱりやめたくなったり、と紆余曲折ありつつ、8月19日からは3泊4日の山中湖合宿がありました。息子、人生初のお泊まりです。今まで、トルコ時代も東京に来てからも、友達の家に泊まるチャンスがあっても絶対に嫌がった息子。初のお泊まりでいきなり3泊はどうかな?と心配だったのですが、合唱団員全員の参加が義務づけられているし、集団の中に放り込んで成長するチャンスかと思って参加させました。
当日、朝から「行きたくない」コール!
なんとか出発のバスの前まで行ってもギャン泣き。
私の言葉はもちろん、同じ班の班長さん(中学生)や先生にどんなにはげましてもらっても
「楽しいよー」
「ごはんおいしいよー」
「バスにのるだけで、なにもしなくてもいいよー」とどんな飴や人参をぶらさげても
「嫌だ」の一点張り。
そこに、ベテランの先生が来てくださって、私も息子も想像もしない言葉を発しました。
「お母さんも不安だと思うけど、⚪️⚪️くんは、お母さんに何をしてあげられるかな?何をしたらお母さんは喜ぶとおもう?」
と聞いてくださったのです。
今までなにを言われても「嫌だ!」
と叫んでいたのに、思いもよら無い質問にキョトン。
すかさず、私が「ママは⚪️⚪️が元気に笑顔でバスから手をふってくれたら嬉しいな」
と言ってみました。
すると、急になぜだかスイッチが入って
「バスにのるだけだよ」と言いだしたのです。
先輩のお兄さんたちに連れられゆっくりバスにのりこむ息子。
窓に顔をはりつけ、私が写真を撮ろうとすると手でバツマークをつくってみたり少し笑顔もみられました。
でもそうしているうちにみるみる顔がくしゃくしゃにゴリラ顔になり、泣き出してしまいます。
ああ、もうだめ、私も泣く。。。
私が手を振ると、息子もさっきの言葉を思い出してくれたのか、なんとか手を振り返してくれて、バスが出発しました。
もう号泣。はじめての親離れ子離れの瞬間です。
戦争を見送る我が子かってぐらい大袈裟ですいません。。。
バスの出発場所からの帰り道、正直、ここまで無理に行かせることはなかったのではないか、普通の子より成長が遅いところもあるのだから、無理をさせなくてもよかったのではなかったか、という後悔が無かったというと嘘になります。でも、もうあとは合唱団にお任せするしかないのだから、私も7年半ぶりの自由を満喫するしかない!そう思って、3晩連続、夜遊びをしました。っていっても映画のレイトショーをみたり、お母さん友達と飲み会に行くぐらいですが。。
そして、息子に響いたあのベテランK先生の言葉を思い出しながら考えています。
人間というのは、いろいろとご褒美をもらったり、自分の為に飴を与えられて頑張れることには限界があるけれど、自分以外の人のため、他人を喜ばせるためのほうが、もっと力が湧いてきて、頑張れるんじゃないのか?ということです。
ひるがえって、自分もそうだな、と。
エネルギーが湧いてきて、よし!がんばってやる!って思えるのは自分のためのことじゃなかったりする。
そういう、利他主義的、人間の可能性の素晴しさも息子を通して学んだ気がします。
さて、3日後。
息子は「たのしかったー」と帰って来ました。
楽しすぎて、宿題できなかった、と。
おばけやしきごっこをしたときのことや(こんにゃくがつるされていた、なんと古典な)、お風呂のあとみんなでたべたゼリーのこと、インターチェンジで食べ歩きしたことなど楽しそうに話してくれました。練習はつまらなかったみたいだけど。
出来過ぎの結果にびっくり!
本当に大きく成長して帰って来てくれました。
この1年間を一言でいうならば、東京に帰ってきたというより、ナッシュビル、デュッセルドルフ、イスタンブール、そして4カ国目の町に住んだような新しい発見の連続の1年でした。日本で子育てをするのもはじめて、仕事が無いのもはじめて、ママ友とつきあうのもはじめて。言葉は通じても、同じ日本人でも皆一人一人個性があって、感動したり、落ち込んだり、心配してたことは思ったより大丈夫だったり、強烈なカウンターパンチもくらったな。。。
たくさん、心をゆさぶられるような、ブログに書きたいことはたくさんあったんだけれど、帰国した友人が言っていたように、東京は忙しい!ゆっくりブログを書く時間もないけれど、今回の気持ちはずっと残しておきたいぐらいの勢いがありました。
日本に帰って、息子には何か音楽をやらせたい、バイオリンやピアノもやってみたけど家で練習をさせるのが大変、だったら合唱なら通わせるだけでいいのでは?と合唱団に入れてみました。最初は普通に通っていたけれど、途中から友達とトラブルがあって嫌になったり、友達ができて楽しくなったり、でも練習がつまらなくなってやっぱりやめたくなったり、と紆余曲折ありつつ、8月19日からは3泊4日の山中湖合宿がありました。息子、人生初のお泊まりです。今まで、トルコ時代も東京に来てからも、友達の家に泊まるチャンスがあっても絶対に嫌がった息子。初のお泊まりでいきなり3泊はどうかな?と心配だったのですが、合唱団員全員の参加が義務づけられているし、集団の中に放り込んで成長するチャンスかと思って参加させました。
当日、朝から「行きたくない」コール!
なんとか出発のバスの前まで行ってもギャン泣き。
私の言葉はもちろん、同じ班の班長さん(中学生)や先生にどんなにはげましてもらっても
「楽しいよー」
「ごはんおいしいよー」
「バスにのるだけで、なにもしなくてもいいよー」とどんな飴や人参をぶらさげても
「嫌だ」の一点張り。
そこに、ベテランの先生が来てくださって、私も息子も想像もしない言葉を発しました。
「お母さんも不安だと思うけど、⚪️⚪️くんは、お母さんに何をしてあげられるかな?何をしたらお母さんは喜ぶとおもう?」
と聞いてくださったのです。
今までなにを言われても「嫌だ!」
と叫んでいたのに、思いもよら無い質問にキョトン。
すかさず、私が「ママは⚪️⚪️が元気に笑顔でバスから手をふってくれたら嬉しいな」
と言ってみました。
すると、急になぜだかスイッチが入って
「バスにのるだけだよ」と言いだしたのです。
先輩のお兄さんたちに連れられゆっくりバスにのりこむ息子。
窓に顔をはりつけ、私が写真を撮ろうとすると手でバツマークをつくってみたり少し笑顔もみられました。
でもそうしているうちにみるみる顔がくしゃくしゃにゴリラ顔になり、泣き出してしまいます。
ああ、もうだめ、私も泣く。。。
私が手を振ると、息子もさっきの言葉を思い出してくれたのか、なんとか手を振り返してくれて、バスが出発しました。
もう号泣。はじめての親離れ子離れの瞬間です。
戦争を見送る我が子かってぐらい大袈裟ですいません。。。
バスの出発場所からの帰り道、正直、ここまで無理に行かせることはなかったのではないか、普通の子より成長が遅いところもあるのだから、無理をさせなくてもよかったのではなかったか、という後悔が無かったというと嘘になります。でも、もうあとは合唱団にお任せするしかないのだから、私も7年半ぶりの自由を満喫するしかない!そう思って、3晩連続、夜遊びをしました。っていっても映画のレイトショーをみたり、お母さん友達と飲み会に行くぐらいですが。。
そして、息子に響いたあのベテランK先生の言葉を思い出しながら考えています。
人間というのは、いろいろとご褒美をもらったり、自分の為に飴を与えられて頑張れることには限界があるけれど、自分以外の人のため、他人を喜ばせるためのほうが、もっと力が湧いてきて、頑張れるんじゃないのか?ということです。
ひるがえって、自分もそうだな、と。
エネルギーが湧いてきて、よし!がんばってやる!って思えるのは自分のためのことじゃなかったりする。
そういう、利他主義的、人間の可能性の素晴しさも息子を通して学んだ気がします。
さて、3日後。
息子は「たのしかったー」と帰って来ました。
楽しすぎて、宿題できなかった、と。
おばけやしきごっこをしたときのことや(こんにゃくがつるされていた、なんと古典な)、お風呂のあとみんなでたべたゼリーのこと、インターチェンジで食べ歩きしたことなど楽しそうに話してくれました。練習はつまらなかったみたいだけど。
出来過ぎの結果にびっくり!
本当に大きく成長して帰って来てくれました。
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by bleuhortensia2
| 2015-08-22 00:22
| ♥ひとりごと